
最近では別人格をSNSなどで気軽に作れるようになっていますし、そういうトラウマとは別の、もっと気軽にファン・フィクションなどを創作したり楽しんでいるようにも思えます。それこそ、あなたが「サラ、神に背いた少年」を書いたときとは状況が変わっていると思います。
そうね。若い人たちは確かに深い部分まで探求してませんね。もし私が編集者であれば、もうちょっと本質を深めなさいということは出来ます。
でも”痛み”によって書かざるをえないという動機がない人は、本来創作する必要はないですよね。動機がなければ、物語の奥底に届く前の「なぜ?この表現なの?」「なぜ?想像したの?」という疑問で止まってしまいますから。
日本でBLを楽しんでいる、腐女子と呼ばれる今のメインの層は、80年代、90年代に培って成立してきた少年愛や耽美的な同性愛の描写を、より気軽にカジュアルな形で「アニメやコミックなどのキャラクターを使って遊ぶ」というものが主流です。ちょっとわかりにくいかもしれませんが…
いえ、わかる気がするわ。”痛み”がない人たちほど、表面的な部分で自分が理解できないことで遊ぶということは出来ると思います。
けど、性的虐待を受けたり、親が何かの依存症であったり、そうした”痛み”を知っている人というのは、もっと深い部分を探求したくなるし、そういう人は、そこからまた違う形のものを作り出すと思うんですよ。
私はそういう”痛み”の体験があったから、小説を書かなければならなかったのです。何か”痛み”を感じたことがある人は、私が説明しなくてもわかってくれると思うんですよね。そして『マトリックス』で描かれたように「見えているものの奥に、それとは違う真実のものがある。」という風に感じてくれる。
例えば、あなたのやっていることは、ユーザーそれぞれの興味に合わせて映画を紹介して、さらにユーザーが知っていることより、もうちょっと深いところまで招待してあげることよね。私がこの映画でやっていることもそれに似ているかもしれない。
ちなみに監督はこのドキュメントにどうやって出演を依頼してきたのですか?
50ドルでどう?って言われたの(笑)色んな人からアプローチを受けたけど、彼の作品が好きだったから彼を信頼したの。
では最後に…好きなキューティー映画はなんですか?
『デットプール』を観てキューティー映画だと思ったわ。あの作品はある種キューティー映画だと思うの(笑)
ええっと…『天国から来たチャンピオン ((1978年公開(日本公開は1979年)ウォーレン・ベイティ監督・主演作品。天使のミスで早くに死んでしまったアメフト選手が死んだお金持ちの体に乗り移り、アメフト選手になってスーパーボウルに出場しようとする…というお話。))』がすごく好きだけど、キューティー映画じゃないわね…。『プライベート・ベンジャミン ((1980年公開(日本公開は1981年)。金持ちの世間知らずの運動音痴な女の子が軍隊に入ってがんばるお話。『マイ・インターン』などキューティー映画を多く監督しているナンシー・マイヤーズが脚本を担当。現在、レベル・ウィルソン主演でリメイク企画も進行中。))』とか。ゴールディ・ホーンが大好きなんです。
とっても素晴らしいインタビューだったわ。こんな内容のインタビューは初めてだったので面白かったです。ありがとう。
インタビューを終えて
ローラ・アルバートはとても優しい人で、リラックスした状態で語り合うことが出来ました。海外の人はとても論理的に答えてくれることがあり、日本ではなかなか本質が捉えにくく感覚的な腐女子の本質を理解するために良いヒントとなる言葉をたくさんくれました。
こちらの質問を気に入ってくれたようで、途中から配給宣伝会社の女性スタッフたちに囲まれている中、こちらの手をおもむろにギュッと握りそのまま見つめ合い語り合うという、何とも一種の羞恥プレー状態でインタビューは進みました(笑)
そういうことも含めて、初めてづくしのインタビューでした。ちなみに、こちらをじっと見つめるローラ・アルバートの瞳はとても澄んでいて綺麗でした。
インタビュー相手が突然手を握ってきたらどう反応したらいいのか、熱く見つめ合って握り返すか、頬を赤くしてドギマギしながらそっと手を離すのか、冷徹に何事もなかったように振る舞うのか…今回の経験をもとに、今後の課題にしたいと思います(笑)

監督:ジェフ・フォイヤージーク(『悪魔とダニエル・ジョンストン』)
撮影監督:リチャード・ヘンケルズ
音楽:ウォルター・ワーゾワ
出演:ローラ・アルバート、ブルース・ベンダーソン、デニス・クーパー、ウィノナ・ライダー、アイラ・シルバーバーグ ほか
2016年/アメリカ/111分/原題: Author: The JT Leroy Story
配給・宣伝:アップリンク
© 2016 A&E Television Networks and RatPac Documentary Films, LLC. All Rights Reserved.
公式サイト:https://www.uplink.co.jp/jtleroy/
公式Twitter:https://twitter.com/JTleroyMovieJP
公式facebook:https://www.facebook.com/jtleroy.movie.jp/

1965年、アメリカ・ニューヨーク州ブルックリン生まれの女性。1996年からJ.T.リロイ名義で小説を書き始めた。「J.T.リロイ」という名前は、先に自分が創り出していた2つの名前「ジェレマイア」と「ターミネーター」の頭文字と、彼女が相手をしたテレホンセックスの客の名前「リロイ」から取っている。現在自伝を執筆中とのこと。
あなたの書いた小説「サラ、神に背いた少年」「サラ、いつわりの祈り」は少年愛、女装など背徳的な内容に溢れていました。当時に比べて今、そういった類の小説はジャンルとしてはメジャーなものになっています。あなたは当時どういう気持ちで「サラ、神に背いた少年」を書いたのですか?
「サラ、神に背いた少年」を書いた時には「ジェンダー・フルイディティ ((gender-fluid。日本語では「ジェンダーの流動性」とも訳される。恋愛や好意の対象の性別を定めない。バイセクシャルが自身の性別を自認した上で両性を恋愛対象とするのに対して、相手との関係性において自身の性別の自認を変動できる人/事象のこと。最も権威のあるオックスフォード英語辞典が2016年に新語として追加した。))」という言葉はありませんでした。今は様々なジェンダーがあります。
「J.T.リロイ」はトランスジェンダーではないんです。それが今、トランスジェンダーして語られる時があって、こちらが困惑してしまいます。
私が作家になる前、テレフォン・セックスの仕事をしていた時、女性のパンティを履きたいとか女装をしたいという欲望を抱えている男性が多くいました。
彼らは普段、ごく普通のとてもいい人たちで既婚者が多く、ノーマルな人が多かったです。でもそういう欲望は恥であり秘密だったので、テレフォン・セックスのサービスを利用するしかなかったのです。
そういう時代に、私は人が人に対して偏見を持たない、道徳や基準など色んなものが混沌としてひっくり返っている世界を描いたんです。
『トワイライト』をSM的な愛で再構築した『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』など、ファン・フィクション(2次創作)が流行っています。今ならあなたもファン・フィクションを書いてみたいと思いますか??
とっても良い質問ね。本を読んでいて、物語の伝え方が個人的に好きじゃなくって「こうなったらもっと良くなるのに!」とかそういうのはよく考えます。
その時代性ゆえに、もっと突き詰められなかったんだろうな、と思うことはあって、そこを自分の創造性で埋めたくなるときはよくあります。
そういう意味では、話を創造した人が、そのお話の最終決定権を持たなくてもいい、とも思っています。
たとえば「オリバー・ツイスト ((1838年に出版されたチャールズ・ディケンズ原作の長編小説。出生に秘密を持つ孤児のオリバーが、子どもたちを使ったスリの悪党に一味にされそうになり、親切な老紳士に助けられたりするが、悪党に追われることになり…というお話。何度も映画化されている。))」のファン・フィクションを書くとしたら、そこに少年愛を入れたり、とってもセクシャルな世界にしてみたいわね。ビルとナンシー ((ビルは「オリバー・ツイスト」でオリバーの命を狙う最も暴力的な悪党。ナンシーはビルの情婦で、ビルを裏切ってオリバーを助けたため、ビルに撲殺される。))がSMセックスをするとか。
チャールズ・ディケンズ ((「オリバー・ツイスト」の原作者。「クリスマス・キャロル」「大いなる遺産」など数々の名作を送り出したイギリス出身の作家。))の墓穴を掘り直すくらいに色々変えてみたいわ(笑)
日本には「腐女子」と呼ばれる人たちがいます。ご存知ですか?
ええ。男の格好をしている女性がいるのを見たことがあるわ…それとは違うの?
(腐女子とBL(ボーイズ・ラブ)について説明を受ける)
なるほど、すごく興味深いですね。
”私たちの世界(BLのこと)”では、美しい少年には神聖なパワーがあると思っています。そしてその美しい少年が自身のアバター(化身)となって物語を作ります。それは欲望の対象であると同時にイノセンス(純粋無垢)な存在でもあるんです。
女の子が自身のアバターとして少年を用いてBLなどを表現すると、なんとなく性的でいやらしいと見られがちですが、男の子がゲーム、例えば『トゥームレイダー』のララ・クラフトを扱っていても、それは普通のことで悪く見られません。ここが興味深いです。
将来的に、みんな自分のアバター(化身)を持つようになって、アイデンティティが色々気軽に使い分けられるようになっていくと思います。その結果、逆に「自分って何だろう?」と思うことになると思うし、「なんでアバターを使い分けているんだろう?」って自問自答することになるんでしょうけど、結局、そういった行為を含めて、自分のトラウマを隠すためじゃないかと思いますね。