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『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』続編制作の問題と原作者の距離感

『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』続編制作の問題と原作者の距離感
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fsog-sequel-issue_00全米を中心に世界中で大ヒット中の『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』。原作は3部作でその第1部が映画化されました。現在、続編2作の映画化は決定しています。そして続編制作に関して、原作者が脚本を執筆し、1作目のメインスタッフは参加しない、という情報が出始めました。


「フィフティ・シェイド」シリーズは、「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」「フィフティ・シェイズ・ダーカー」「フィフティ・シェイズ・フリード」の3作から成ります。
2巻「フィフティ・シェイズ・ダーカー」からクリスチャン・グレイの過去が描かれ、アナとクリスチャンの2人にクリスチャンの元カノやら、クリスチャンのSMの育ての親やら、アナが就職した先の上司やら、色々な敵が現れます。

海外の報道によると、続編「フィフティ・シェイズ・ダーカー」に関して、原作者のE L ジェイムズが、自ら脚本を執筆するという条件を映画製作会社に突きつけて、それが承諾されそうとのことです。

そして、1作目に参加した脚本家のケリー・マーセル、監督のサム・テイラー=ジョンソンは次作には参加しないことがほぼ決定的となっています。

どうも1作目の制作からE L ジェイムズと監督、脚本といったメインスタッフの間で何かあったようで、ケリー・マーセルは脚本で単独クレジットされているにも関わらずこの映画に関して一切コメントしていませんし、サム・テイラー=ジョンソンは公開前にE L ジェイムズと「作品をより良くするため、創作上での言い争い(討論)を何度もした」とインタビューで答えています。

原作者のE L ジェイムズは今回の映画版にかなり不満があるらしく、より自分がコントロール出来る「脚本執筆」という条件を映画製作会社側に出したわけです。映画製作会社としては原作者の意向は最大限に聞かないといけないので、この条件は飲まざるを得ません。

しかしE L ジェイムズには映画の脚本を執筆した経験はありませんし、何より原著の文章の酷さは本人も認めているところで文章力や表現力がないのは有名な話です。(E L ジェイムズの経歴に関して、TV局勤務と書いているところがありますが、イギリスの国立映画テレビ学校の事務職です。創造的な仕事をしていません。)

となると、映画製作会社はE L ジェイムズが執筆した脚本をリライトする脚本家を雇わなければなりません。しかし天下御免の原作者様ですから、通常の脚本リライトのようにプロデューサー権限で映画用に改変することが出来ません。リライトされた脚本は、初稿を書いた「原作者である」E L ジェイムズにその都度チェックを受ける必要が出てきます。

小説と映画はメディアが違うので、原作と同じ構成やキャラクター設定が必ずしもいいとは限りません。原作者が不満でも、映画制作側の思い切った改変は時として作品自体の魅力を引き上げることがあります。

『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』の元ネタである、本家『トワイライト』サーガが、実は原作と映画の違いを実に上手く利用し、相互作用を最大限に引き出した作品です。映画評論家などからあまり指摘されていませんが『トワイライト』サーガの、「ファンが観たいシーンを全て入れ込みつつ」「限られた時間内の映画で破綻しないように」絶妙に原作を再構成・調整した脚本は見事だと思います。
まぁ、最後の雪原の話し合いシーンに関して、想像を絶するウルトラC級の映像化のアイディアには映画館で思わずズッコケそうになりましたが(笑)、あれもファンサービスとして考えると、あながち間違ってるとは言えません。

スケジュール面で考えるとE L ジェイムズの脚本執筆は脚本制作の遅れを意味します。脚本の完成が遅れるということはロケ地選び、セットの作成など制作自体のスケジュールを圧迫もしくは延長させます。制作が遅れるとマーケティングや宣伝にも支障が出ます。

映画製作会社、配給会社としては人気シリーズとして、1作目が大ヒットしていて熱のあるうちに、矢継ぎ早にシリーズ作の情報を公開し、ファンの興味を継続して続編の公開に繋げていきたいはずです。
出来れば、毎年バレンタインデーの時期に上映したいでしょう。バレンタインデー時期は女性客を動員するのに一番いい時期ですし、毎年「バレンタインはフィフティ・シェイズ・シリーズが公開」という流れが作れると映画公開をイベント化出来ます。

出演陣はたぶん続編の継続出演が契約書に書かれていたでしょうし、1作目より高額なギャラが提示されると思うので出演すると思いますが、主役2人ともこの映画にあまり積極的じゃないんですよね…そこもちょっと気になります。

「フィフティ・シェイズ」シリーズとE L ジェイムズの強みは、ファンと作品を通じての繋がりの強さにあります。
この作品がこれだけ巨大化し成功したのは、E L ジェイムズの想い描いた妄想にファンが共感し支持したからこそです。ファンがE L ジェイムズがシリーズ脚本を担当することに関して支持するのか、拒否反応を示すか…
映画製作の都合や、原作者と映画制作側の調整以前に、そこが最大の鍵だと思います。

ちなみに作品のチグハグ感に関して、『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』初日に鑑賞して書いたレビューで、原作者の権限の強さがもしかして問題を起こしたのでは?と想像で指摘したのですが、どうもその想像はあながち間違いではなかったようですね…
「15(フィフティーン)・シェイズ」な『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』