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単なる映画『メリー・ポピンズ』制作秘話じゃない『ウォルト・ディズニーの約束』

単なる映画『メリー・ポピンズ』制作秘話じゃない『ウォルト・ディズニーの約束』
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とても不思議なミュージカル映画『メリー・ポピンズ』

1964年に公開されたディズニーの実写映画『メリー・ポピンズ』って、とても不思議な作品だと常々思っていました。

小さい姉と弟はいたずら好き。いたずらのせいで子守が辞めてしまいました。
お父さんのバンクス氏は厳格で気難しい銀行マン。お母さんは女性解放運動家。
子どもたちは、優しくて楽しくて面白い、理想の子守を求めます。
すると空から子守のメリー・ポピンズが降りてきて、子どもたちの子守をしてくれることになります。
メリー・ポピンズは魔法を使えます。部屋を一瞬で片付けたりします。
メリー・ポピンズが子どもたちを公園に連れて行くと、そこにはメリーの友達の大道芸人バートがいて、彼の不思議な力で絵の中に入ったり不思議で楽しい体験をします…

「チム・チム・チェリー」や「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」など誰もが知っている親しみやすい歌があり、ディズニー映画らしく、アニメキャラと実写キャラが一緒に歌い踊る楽しいミュージカル映画です。

さて、このストーリー展開だとこの後どうなるのが普通と考えますか?

幼い姉弟とメリー・ポピンズの交流を中心に描くお話として考えます。幼い姉弟が主人公で、魔法が使える不思議な子守のメリー・ポピンズと出会い交流することで、色々楽しくて不思議な体験をしていくのを描くのが常套手段のストーリー展開ではないでしょうか?

しかしこの映画ではそうはなりません。

メリー・ポピンズより、大道芸人や煙突掃除夫として登場する友人のバートの方が不思議な人物ですし、彼の方が子どもたちを楽しい世界を体験させます。メリー・ポピンズは決して子どもたちの心強い味方ではなく、大人として子守として厳しく子どもたちに接しています。

さらにこの映画は子供たちとメリー・ポピンズの交流をメインに話が進むと思いきや、後半になって急に子どもたちのお父さん、バンクス氏の描写に映画の重点が割かれます。
そこで描かれるのは、勤めていた銀行をクビになって初めて家族や子どもたちが大事なんだと気が付いたバンクス氏の心の開放です。
映画は子どもたちやメリー・ポピンズではなく、バンクス氏の目線でお話が終わります。

本当の『メリー・ポピンズ』制作秘話

映画『メリー・ポピンズ』には色々逸話があります。
原作者であるイギリス児童文学作家P・L・トラヴァース女史は、ディズニーが映画化を希望してから20年近く映画化に対して首を縦に振りませんでした。

P・L・トラヴァースはディズニーによる映画化を嫌っていて、映画化を承諾した際も「アニメシーンを作らない」「楽しいミュージカル映画にしない」ということと、脚本のアドヴァイザーとして彼女が映画に口を出す権利も要求し、ディズニーにその条件をのませました。

にも関わらず、完成した映画にアニメパートがあったのを知った彼女は、試写が終わってからウォルトに「素晴らしい映画でしたが、公開の時はアニメシーンはカットするんですよね?」と聞きました。するとウォルト・ディズニーは「脚本までがあなたが口を出せる権利で、映像に関して口を出せる権利はないですよ。」と笑顔で答え、その場を去りました。

それからトラヴァースはディズニーからの『メリー・ポピンズ』の続編企画の打診をはねのけるだけではなく、以後アメリカ人による映像化や演劇化などの全てを許しませんでした。彼女は死ぬまでウォルト・ディズニーを心底嫌っていたと言われています。

ディズニーが作る『メリー・ポピンズ』制作秘話への疑心

さて、そんな『メリー・ポピンズ』の制作秘話を、当のディズニーが映画にしました。しかもトム・ハンクスをウォルト・ディズニー役に配して。
P・L・トラヴァース役には当初メリル・ストリープが考えられていましたが、最終的にはエマ・トンプソンが演じることになりました。

ディズニーにとって創設者ウォルト・ディズニーを悪役として描くことは1000%、絶対にありえません。

この映画企画を知った時に思ったのは「『メリー・ポピンズ』を望まない形で映画化されたP・L・トラヴァースは、ウォルト・ディズニーに対する憎しみが生半可なものではなかった」という知る人ぞ知る事実を描かず、口うるさい原作者に翻弄されるディズニー側を面白おかしく、そして感動的に描く映画になるだろうということです。

となると、この映画は、原作者P・L・トラヴァースを悪者にして、ウォルト視点でなかなか思うように進まない『メリー・ポピンズ』の映画化の過程を描くか、またはお互い丁々発止がありながらも、最終的には共に映画化実現のために進む「同士」として描くかのどちらかです。

そして最初に登場した映画の予告編も、制作秘話として興味深い、そして楽しそうな雰囲気でした。

のちに本編を観た時、この予告編がミスリードしていることに気付きます。

疑心暗鬼で見た『ウォルト・ディズニーの約束』に裏をかかれる

本作はP・L・トラヴァースを演じるエマ・トンプソンが、観客の共感をはねのけるくらい神経質で融通の効かないキャラクターを見事に演じています。そのせいでとにかくあらゆることに難癖をつけまくる前半に「あぁ、やはりP・L・トラヴァースを悪者にして、映画企画の苦労談としてまとめてるのか。」と思いながら観ていました。

彼女に一々こと細かく難癖をつけられるディズニー側の制作者、作曲者シャーマン兄弟や脚本のドン・ダグラディ、そしてプロデューサーのウォルト・ディズニーに同情心がわきます。

ポール・ジアマッティが演じる、ディズニーがP・L・トラヴァースのために用意した、人のいいハイヤーの運転手にさえ心を開かず難癖をつけまくる彼女の様子に、なぜ彼女はここまで不愉快で、ここまで懐疑的で他人に心を開かないのだろう?と思うようになります。

合間に、P・L・トラヴァースの子供時代のシーンが入ります。彼女の父親が陽気で明るくて子供想いだったこと、貧乏ながらも楽しい毎日で、幼い彼女が夢を持てる生活をしていたことが描かれます。
この父親をコリン・ファレルが演じているのですが、これが素晴らしくいいんです。とても好感のもてるキャラで、彼が出てくるとギスギスした映画のメイキング風景を見せられていた観客はホッとします。そして、それが演出的に全て計算であることが後にわかります。

彼女の難癖でなかなか進まない映画の企画会議シーンと、彼女自身の子供時代のシーンを交互に映し進行していく中で、徐々にP・L・トラヴァースの心情や行動の謎、「メリー・ポピンズ」への他人には理解し難い彼女の想いが明かされていきます。

映画『メリー・ポピンズ』の制作秘話として描かれていたように思えた本作が、実は原作「メリー・ポピンズ」自体の制作秘話を追う構造になっていたのです。

『ウォルト・ディズニーの約束』の原題『Saving Mr.Banks』の意味

そして本作はそこからさらに別の視点へと観客を導きます。「メリー・ポピンズ」というお話を通じて、父親と子供の関係を描く物語になるのです。とても緻密で計算された構成です。ディズニー映画であるという先入観から、監督や脚本家が仕掛けに見事にハマり、計算通りに思うがまま導かれました。見事でした。実に心地よかったです。

懸念していたウォルト・ディズニー氏の描き方も、この構成なら脇役に押しやられざるをえません。しかしウォルト・ディズニーを映画のキャラとして初めて描いたディズニー映画として、さらにトム・ハンクスにわざわざ演じさせているのですから脇役で終わらすわけにはいきません(笑)

そこは「父親」というキーワードで一気にP・L・トラヴァースの同士として描かれます。これならウォルト・ディズニーの本作での必要性が出ます。映画製作者としてのウォルトではなく、息子として、親としてのウォルトであることが重要でした。

ここで本作の原題『Saving Mr.Banks』というタイトルの意味がわかります。
『メリー・ポピンズ』のメインキャラクター、バンクス氏のキャラクターを映画化の際に守るという意味と同時に、「父親」を意味するバンクス氏を守るという意味に繋がっていくのです。

レイチェル・グリフィスが演じる、メリー・ポピンズのモデルである人物の登場シーンは本当にカッコいいです。『メリー・ポピンズ』でのメリー・ポピンズ登場シーンをリスペクトしているんです。このシーンでの状況は別に楽しかったり華やかだったりは全くしてないのですが「なるほど!」と凄くゾクゾクします。

そしてメリー・ポピンズがなぜ子どもたちにただ優しいだけではなく、子どもたちと必要以上にコミュニケーションをとらないキャラクターとして描かれていたのかが分かります。

監督のジョン・リー・ハンコックは、前作『しあわせの隠れ場所』に続いて実話ベースを映画にしましたが、どのキャラにも思い入れをしない客観的な視点を維持しながら、登場人物全てに愛情を持った撮り方をしていました。それがこの映画を素晴らしいものにしています。登場人物の配置が実に緻密に計算されていて、本作で描かれる全てのエピソードがどれも気持ちよく、最後は見事に昇華しています。

そしてこの映画がディズニー映画で良かったと思えるシーンが幾多と出てきます。
それは実際のディズニーランドを使ったロケーションであったり、実際に映画の企画検討時に使われた美術ボードやイメージスケッチなどの小道具だったり、『メリー・ポピンズ』本編映像だったりしますが、何より良かったのは最後の最後に出てくる、P・L・トラヴァース本人の肉声が入った当時の会議を録音していたテープが使えたことです。

P・L・トラヴァースのディズニー側への難癖が脚色じゃないことがこのテープから分かります(笑)

この映画は傑作です。そして『メリー・ポピンズ』と共に、ずっと語り継がれて見続けられるべき名作だと思います。