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傑作小説の映画化『お買いもの中毒な私!』

傑作小説の映画化『お買いもの中毒な私!』
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この映画、邦題は違いますが ((映画宣伝のことを考えても、この有名な邦題を変えたのかは謎です。原作の邦題は出版社のヴィレッジ・ブックスで付けたものですから、オリジナルにこだわるディズニーとしては邦題も映画オリジナルを持っておきたかったということでしょうか?))イギリス生まれの人気小説「レベッカのお買いもの日記」の映画版です。
映画は舞台をアメリカのニューヨークにして、原作の1巻と2巻を合体させた内容になっています。

原作の「レベッカのお買いもの日記」は、お買いものするたびに一々自分に言い訳をしたり、買い物のせいで破産寸前なのをばれないように嘘をつき続けるレベッカのダメ人間、人間くささがとても楽しい大傑作のユーモア小説で、個人的には現代版「赤毛のアン」だと思っています。アンはシリーズを進めるごとに成長していきますが、レベッカは一向に成長しません(笑)

小説の方では、レベッカはイギリス人でロンドン在住。
大金持ちのお嬢さんの親友スーズと一緒に住んでいます。働いているのは経済誌の編集部で小さな記事を担当。経済なんてよくわからないしつまらないから適当に仕事をこなす毎日です。
あるときレベッカは経済界で話題になっていた新進気鋭の広告代理店の青年経営者ルークと出会います。
ルークが気になるレベッカですが、一方彼女は買い物のし過ぎで銀行から督促状が来る毎日。心配するスーズにまで嘘をついて銀行から逃げ回っています。
そしてレベッカは自分のいい加減さから借金がかさみ過ぎ、とうとう自分のカードは使用できなくなり、信頼も失い、逃げるように田舎の両親のもとへ。そこでもレベッカは両親に、催促の電話をかけてくる銀行員をストーカーだと嘘を言って守ってもらおうとします。
しかし、ある身近な問題がきっかけで投資系企業の不正問題をゴシップ紙に書くことになり、一躍、時の人に。
そして企業の広報として雇われたルークとテレビで対決する羽目になります。レベッカは知識も立場も何もない圧倒的に不利な状況です。さて対決の行方は…

下手糞なストーリー説明で申し訳ないですが、とにかく原作は面白い。一読をおススメします。

原作はプロットとキャラクターの設定が秀悦です。2巻では今度は舞台をニューヨークに移し、またまたレベッカは懲りずにお買い物のし過ぎで借金がかさみ…3巻は結婚、4巻は新婚生活、5巻は妊娠、6巻では子供も一緒に…と、ライフスタイルが変化しながらも毎回レベッカは成長せず買い物を続け、彼女を心配する人たちに嘘をつき、自分に甘え、結果とんでもない事態になり…を繰り返します。

普通この手の小説では、読者は主人公に共感し主人公の行動に一喜一憂して読み進めて行きます。物語の爽快さは読者と一体化した主人公の活躍で表現されます。しかし「レベッカのお買いもの日記」は単純にそうなっていません。

最初、読者は何かと言い訳しながら買い物をし続けるレベッカに笑いながら共感します。
「そうそう、こういうことってある。」とか思いながら。

ストーリーが進んでいくうちに、レベッカは自身の借金から事態がドンドン悪くなってきても全然反省せず、心配する友人や両親などにも嘘をつきはじめます。
レベッカ以外の人たちはみんな親切で優しい人ばかりです。なのにレベッカだけが嘘をつき続け、人々を騙し続け、状況をどんどん悪い方向にしているのです。

読者はレベッカの本当の姿、いい加減で嘘つきで自己中心的なレベッカを知っています。だからいつまでもレベッカの嘘でうまく進み、周囲のいい人達が翻弄されていく展開にイライラしてきます。

そして読者のイライラ感がピークに達するあたり、絶妙なタイミングでレベッカの嘘がばれ、叱られ、一気にこれまで親切にしてきた人たちの信用を失います。
ここでやっとレベッカも真摯に反省し自分を叱責します。

このとき読者は、共感していたはずのレベッカに対していつの間にか敵視しながら読み進めているはずなので、レベッカの失敗と周囲からの叱責に対して、「当然の報いだ」と悪者がやっつけられるときに似た爽快感を感じます。

反省したレベッカが心機一転、無心になってがんばる姿を描写しながら物語は進みます。結局レベッカはがんばって何かを成し遂げるわけですが、読者はそれに拍手喝采。いつの間にかレベッカに再び共感し、彼女の成功に対して爽快感を覚えながら気持ちよく物語を読み終えることが出来ます。

最初の買い物の言い訳などを通して、読者に笑いと共に共感させておいて、嘘がエスカレートしたところで読者をいったん引き離し、嘘がばれて怒られているところで読者の良心・常識をくすぐってヒロインに向けての悪意で爽快感を与え、そこからヒロインが這い上がってがんばる姿をみせることで、引き離した読者に再び応援させて、最終的に成功するところで、読者は主人公と一体となって喜ぶ…

読者の導き方がすごく高度な構成だと思います。

普通の話だと、読者は何かで落ち込んだ主人公に共感し励まし、がんばる姿を応援し、そして成功を共に喜ぶのですが、レベッカの場合、落ち込んだとき読者に共感させないのがこの話の特徴であり、物語として魅力的な展開になっているところです。

2012年3月現在、原作は6巻まで出ていますが4巻まではこの物語構造 ((5巻「妊娠篇」は違います。4巻のあとがきで、2巻から翻訳を担当されている佐竹史子さんがこの構造と読者が得る快感について指摘しておられます。))です。この構造が「レベッカのお買いもの日記」の魅力です。

さて、原作についてが長くなりましたが(笑)やっとこさ映画についてです。原作の持つ魅力的で高度な構成をどう脚本に反映させたのでしょうか?

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まずキャスト。主演のレベッカ:アイラ・フィッシャーですが、アイラはこれまで男性を虜にする女性を多く演じてきています。そのアイラを女性が共感する主人公のレベッカにするのはちょっと違うなと映画を見るまでは思っていました。予告編を見ても、それは変わりませんでした。

しかしですね、映画を見て物語が進むうち、アイラがちゃんとドジでワガママだけど友達思いの人のいいレベッカに見えてくるんですよ。ちゃんと観客が共感する愛らしいキャラクターになってます。

友人スーズ:クリステン・リッターは原作のスーズのイメージにピッタリです。白くて細くて目が大きいクリステンは、これまでもキューティー映画ではいい脇役を演じてきましたが、今回が一番。この映画で一番”おいしい”出演者はクリステンでしょう。

ルーク:ヒュー・ダンシーについては、映画のキャラ設定自体が原作のルークと変わっていて、原作ではマザコン気味でがんばって超セレブな母親に認められようとしている、都会的でワーカーホリックな経営者です。映画ではボンボンだけど何とか独り立ちして認められたいともがいている、野心的な身なりも気にしない編集長になっていて、そういう意味ではちょっと無精ひげで男らしさが漂うヒューの感じがピッタリだったと思います。

さらにレベッカの両親はジョーン・キューザックとジョン・グッドマンという芸達者のベテランたちが演じます。

原作ではレベッカの妄想が止まらず…という描写がありますが、それを映画ではレベッカの妄想の世界が、日常と地続きであることをCGIを使って表現しています。そしてこのCGIがキューティー映画では過去最高峰といえるくらいの出来で、さりげないのですが、最大の見所にもなっています。

担当したのは世界最高峰のSFXスタジオILM ((スターウォーズのジョージ・ルーカスが、スターウォーズの特撮のために作った世界最高の技術をもつSFXスタジオです。ILMが開発した技術は数知れず。有名なところでは画像ソフトのフォトショップを開発したのはILMのスタッフです。あとILMのCG部門が独立してピクサーになります。))。さすがはILM、余裕の仕事ぶりです。

あえてどこにCGを使っているかはネタばれになるので書きませんが ((書かなくともわかります。CGで描かれたキャラは映画では重要ですから。))、実に質感や光源設定がナチュラルで、CGとして動き出すまで全然わかりませんでした。

衣装は『セックス・アンド・ザ・シティー』のパトリシア・フィールドが担当していますが、う~ん個人的には今ひとつ。 ((パトリシアが来日した際、渋谷の109などで買ったブーツを使っているそうです。))
キャラクターを表現するための機能としてファッションをみたとき、今回のコーディネートはちょっと個性的過ぎたのではないかと思うんです。

だって既製品を買いあさり、買ったあと実際に着ないで、もてあましている服が多いという設定のキャラクターですよ。だから実際に着ている服はパトリシアお得意の個性的な服やアイテムの組み合わせではなく、既製品っぽいシンプルさを出しておいて、クローゼットには個性的な「こんなのどこで着るの?」みたいな服が並んでいるほうが、キャラクターを表現するファッションになったのではないかと思うんです。

映画は、レベッカがお買い物をし続け借金で首がまわらなくなり、友情も失い、反省して借金をなくすために行動する…という展開になります。しかし、キャラクターの掘り下げ方が弱く、特にレベッカを追いかける銀行員のデレク:ロバート・スタントンの扱いが酷いのが残念です。

銀行員のデレクは仕事でレベッカに不足している額を支払うよう催促しているだけです。デレクは悪くありません。悪いのは逃げ回ってお金を払わないレベッカです。

映画ではラスト、レベッカがデレクに借金分を支払う際、お金の返し方で、ある嫌がらせをします。
「どうよ!」と颯爽と笑顔で銀行を出て行くレベッカ。一方レベッカの置き土産(嫌がらせ)を見て驚き立ちすくむデレク…

ちょっと待て。なんでデレクは嫌がらせを受けないといけないのでしょう?デレクは何か悪いことをしたでしょうか?普通に支払いをしないお客に対して督促の仕事をしていただけです。なのに映画ではデレクが悪者として描かれています。

原作ではデレクを悪者として見ていたのはレベッカだけで、実際はレベッカに対して親身になっている真面目で実直ないい人だったという、素晴らしく気持ちのいいオチがあります。デレクを悪く描くのはレベッカの主観で物語が進むからであって、この物語で唯一の悪者はレベッカ自身でなければなりません。けど、映画はそうなっていません。

正直言うと、この映画はこういったキャラクターの造形、原作の持つ構造の魅力の理解度を含めて、脚本の出来がいまひとつです。
演出はうまいので、シーンごとは笑ったり感動したりできます。しかし全体の構成が凡庸です。

『パイレーツ・オブ・カリビアン』、キューティー映画的には『コヨーテ・アグリー』『フラッシュ・ダンス』など、大ヒット連発のプロデューサーのジェリー・ブラッカイマーと、『ベスト・フレンズ・ウェディング 』『夢見る頃を過ぎても』と素晴らしいキューティー映画を作り出している監督のP・J・ホーガンが、世界的に人気の小説を手がけた映画です。キューティー映画としてはこれ以上ないくらい最高の条件、最高の布陣のはずです。

そのわりに一番重要な脚本家3人はほぼ無名です。メインライター経験者が1人もいません。 ((後の仕事もまともな映画に関わっていません。))

時期的に考えると、全米脚本家協会のストライキ ((インターネットで配信している作品の利益配当が低い、ということから始まった全米脚本家協会のストライキは07年11月から08年2月まで続きました。その間、脚本家が雇えず人気ドラマの制作は中断し放送延期、アカデミー賞などイベントも縮小されるなど、アメリカのエンタテイメント業界に大きな影響を与えました。))の期間中に脚本制作が行われていたと考えられます。ストライキのせいでまともな脚本家が使えず、それがこの作品の出来に影響したのではないかと想像しています。

脚本に関しては辛口な意見になってしまいましたが、それも個人的にこの原作が大好きで、そのため映画化を期待しすぎていたせいかもしれません。
原作原理主義者というものは、どうしても原作と映画を比較して批判的な見方をしてしまいます。本当は映画として単体で見ないといけないと思いますし、他の作品ではそういう見方をしてきているつもりなのですが…

なので、この映画は原作を読まず、オリジナルの映画として見る人の方が、すんなり受け入れられて楽しめるのではないかと。
ユーモアなシーンも多くて、ちゃんと笑わせてくれますし、実に楽しく見れるキューティー映画であることは確かです。

レベッカが成長したことを示すラストシーン ((【ネタばれ注意!】ぶっちゃけると、原作原理主義者じゃなくてもこのシーンの「買い物を我慢したレベッカに対して「よくがんばった」と拍手喝采するマネキンたち」というのは、実に意味不明で変だと思うのですが…(笑)))は、映像的アイディアと音楽演出がとても素晴らしく、感動すると思います。