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キューティー映画が描く夢を否定しながらキューティー映画してる『フランシス・ハ』

キューティー映画が描く夢を否定しながらキューティー映画してる『フランシス・ハ』
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世の中、そんなにうまくいきません。
けどキューティー映画は、日常ではありえないかもしれない「こうなったらいいな」という夢と希望を描いてくれます。

『フランシス・ハ』はそんな「こうなったらいいな」をことごとく否定し、現実の厳しさを面白おかしく描きます。
にも関わらず、最後は「こうなったらいいな」「こうなりたいな」という希望を与えてくれます。

海外のドラマや映画でよく使われる「ルームシェア」という生活形態

友達や赤の他人とルームシェアというのは、キューティー映画でよく出てくるシチュエーションです。
日本だと実家から離れた時はすぐ一人暮らしですが、海外では賃貸を安く抑えるため、まずはルームシェアというのが一般的です。

海外のドラマや映画ではこのルームシェアというシチュエーションがさまざまなところで活かされます。
舞台をリビングにして色んな人が出入り出来るという制作上の便宜性もありますが、中でも「ルームシェアをやめて一人暮らしの部屋を借りた」というシチュエーションは、キャラクターが「家賃が1人で払えるようになるくらいに社会的な地位があがった」という状況を示すのによく使われます。

フランシス・ハはまさにこの前提で物語が構成されています。
彼女は物語の中で住むところを変えていきます。そしてそれが彼女の変化にも繋がっています。

親友とのルームシェア:夢を語り求める場所

フランシスは大学時代からの親友と同居中。
親友とは男に人生を決められない、かっこいい女の生き方をしよう、と日々、互いのキャリアの夢を語っています。

フランシスはモダンバレエの正式な団員を目指していますが、なかなか正式登用されません。先生は彼女のことをダンサーとしての才能より振付師としての方を高く評価していますが、彼女はダンサーとして成功を望んでいます。
その最初のステップが今度の遠征旅行のメンバーに入ること。彼女はメンバー入りを目指しています。

しかし、友人が自分のキャリアのためにこの部屋から出ると宣言し、フランシスの物語は動き始めます。

異性とのルームシェア:現実と向かいあい夢を信じる場所

1人では部屋の家賃が払えないため、フランシスは金持ちで適当な生活をしている男友達2人の部屋に転がりこみます。
部屋代は遠征メンバーになればギャラが入るので、そこまで待ってもらっています。
「遠征メンバーになる」ということが彼女にとって夢の一歩ではなく、生活のための命綱となっていきます。

しかし彼女は遠征メンバーに採用されませんでした。夢は破れます。先生からは劇団に残るため事務員になることを勧められますが、彼女は劇団を辞めます。

実家:現実と向き合わず癒やしを求める場所

家も目標も失ったフランシスはクリスマス休暇で実家に戻ります。自分の境遇は内緒にし、両親らと地元で穏やかに過ごします。
帰りの空港で、両親に見送られる時、フランシスが一瞬表情を曇らせるところの演技は実に見事でした。

パリの部屋:友達を求める場所

転がり込んでいた友人宅でのディナーで知り合った夫婦がパリにアパートを持っているということで、突然フランス旅行をするフランシスですが、彼女はここでひたすらパリ在住の旧友に電話し、親友と電話し…と、海外旅行に来ているのに、電話を通して友人を求め続けるだけで終わります。ここは携帯電話のグローバル化とを上手く使ったシーンだと思います。海外に来ても日常の延長を続けることが出来ることの是非。国際電話が気軽になる前の時代ではこのシチュエーションは作れませんでした。

大学の寮:自分を見つめ直す場所

母校の大学の寮で住み込みの管理人をしながら、やっと自分自身の現実を見つめ直し始めた彼女の元に、偶然出会って大喧嘩した親友が酔って訪ねてきます。
物語で初めて、これまで誰かのところに行っていた彼女のところに他人がやってきました。

彼女の精神的な成長は「依存からの独立」であり、それを示すのが「ルームシェアからの脱却」なのです。
そしてルームシェアから脱却し、大学の寮で住み込みをした時、今度は誰かが彼女に依存してやってきます。
それは彼女の成長と共に、過去との決別も意味します。友人との別れはそれを分かりやすく観客に提示していました。

結果的にフランシスは元いたバレエ劇団の事務という定職につきながら、空いた時間で個人的にダンスの振り付けを行います。
そしてささやかながら、一人暮らしをスタートします。

ここでフランシスは、日本では多数を占める一人暮らしをしている人々と同じ位置についたわけです。
映画のエンドロール後に起こるであろう、彼女のこれからの物語は、見ている我々自身の物語として地続きになっていきます。

負け犬ヒロインの物語は最近の流行りですが、『フランシス・ハ』がその中でも群を抜いて素晴らしいのは、映画のように上手くいかない現実の厳しさを徹底的に映画で見せつつも、その状況でもがくヒロインを観客に応援させるのではなく、もがくヒロインに共感させたことです。

それはグレタ・ガーウィグの存在感の自然さ、平凡さ(いい意味で。女優女優してないのは彼女の上手さ)と演技の巧さで作られたフランシスというキャラクターであり、そのキャラクターの成長物語を、自家中毒になりがちなインディペンデント映画で「女の友情物語」というこの物語の核を見失わず描いたノア・バームバック監督の確かな演出力があったからだと思います。

白黒映画なのになぜか色合いが豊かに感じられるキューティー映画です。